|
| 03/01-Tue. |
|
関空行きのリムジンバスに乗っています。
二晩連続ほぼ徹夜の準備でのぞんだ昨日の講演をまずまず成功のうちに終えて、なんとか旅立てるカタチになりました。さすがに昨日は、夕方オフィスワークを片づけるために起きた他は、午後も夜も爆睡、なんとか早朝に起きて旅の支度をしました。
今回の出張は、期待より不安の方が大きいけど、実りある調査旅行になれば、と思っています。12年ぶりに訪れるパリが、僕をやさしく迎えてくれますように。[08:24] |
|
関空の搭乗口にあるe-standから書き込んでいます。便利になったもんです。
今日は、飛行機のチェックイン手続きに手間取りました。
というのは、なんと、史上初めて、預かり荷物の重量オーバーです。20kgリミットを4kg超えて、12,000円請求されました。もちろん、そんなお金払うわけにはいかないので、荷物をあけて、4kg分を手荷物にまわすことに。しかし、今回スーツケースの中身はスカスカ。減らすものもない。数冊の本とPC関連のものを出して、どうにかリミット以下にしました。なんだか、最近急に厳しくなったそうです。今後はスーツケースの中にすぐに外に出せるようなカバンをもうひとつ入れておくナドの対策が必要です。大き目のスーツケースだと20kgなんてすぐ超えちゃうから。。
こんなわけで出鼻をくじかれたわけですが、もう、数分後に搭乗が始まります。どうにか元気に出発です![11:43] |
|
夕方、無事にパリに着きました。
空港からタクシーで予約していたフラットに来ました。途中、渋滞に巻き込まれて、予定していた時間よりも少々遅れてしまいましたが。。
フラットは狭いけれどこぎれいで、なかなか快適です。
基本的な説明を聞いた後、一人になってすぐに、パリに明日まで滞在されている早稲田のT田さんから電話が入り、夕餉をともにして旧交を温めました。明日も帰国便が夜の11時だとのことなので、夕方までおつき合いいただける模様。フランス語も堪能だし、旅の滑り出しとしてはたいへん心強く。
少々疲れてますが、とても元気です。[23:57@Paris] |
|
|
| 03/02-Wed. |
|
昨日1日に無事パリに到着した。1993年の早春以来、実に12年ぶりの訪問ということになる。
昨夜、ラッシュアワーに巻き込まれながら、予約してあったフラットに着いてすぐ、今日までパリに滞在されている早稲田のT田さんから連絡をもらい、夕食を御一緒した。今夜遅くの出立なので、今日も夕方までつき合ってくださることになっている。
滞在しているフラットは、パリのアパルトマンらしく決して広くはないけれど、こぎれいでなかなか快適。狭いスペースを有効に使うためにさまざまな工夫が為されている。特にベッドがおもしろい。 |
通常は3メートル近い天井の上の方にに引き上げておいて、使用する時、下ろしてくるという仕掛けになっている。ソファとダイニングテーブルの高さが同じで、ぴったりこの高さまで下ろせるから、ベッド使用時も、いちいちそれらの家具を片づける必要がない。写真は、ベッドを途中まで引き下ろしたところ。
インターネットもブロードバンドでの接続がすぐにできたし、無料で携帯電話のレンタルもある(通話料はもちろん別)。高性能の洗濯機(乾燥機付き)もなかなかかわいらしく、メトロの駅が目の前で便利そうだし、近くにスーパーや雑貨店もある。これから10日足らずの間の根城としては申し分ない。 |
昨夜の夕食の後、僕の部屋でT田さんと軽く呑みながら今日の打ち合わせをし、それから、メトロの駅まで見送りに行った。そのときハラハラと小雪が舞っていた。
そんなわけで、フラットの窓から見える中庭は小麦粉を撒いたような雪化粧。まだパリは寒く、「花の都」にはほど遠い。
[09:00@Paris] |
|
午前中、トロカデロの広場でT田さんと待ち合わせ、それから夕方までつき合ってもらって、時おり小雪の舞う中、エッフェル塔からアンヴァレッド、そこからセーヌ川の左岸沿いの道を散策し、パリの概容をつかんだ。
12年前は訪れなかったエッフェル塔を初めて間近で見た。パ リのランドマークの一つであり、これ自体、美しいものだと思うのだけれど、100年前のパリの芸術家たちが鉄の文化を象徴するこの建造物をこぞって忌み嫌った理由もよく分かる気がした。
エッフェル塔をはじめ、前回はほとんど歩かなかったエリアも含んだあたりを歩いたんだけど、時々見覚えのある場所に遭遇して、記憶の中のパリと現実の街とが結びつく感じを何度も味わった。
そんな散策の中で、そして、昼食ををゆっくりご一緒しながら(T田さんオススメのレストランでたいへん美味しかった)の語らいは実に楽しく、最近の研究状況の問題点や、パリにいるからこそ見えてくることなど、様々に意見交換できた。今回の旅の大きな収穫の一つになることは間違いない。
昼食後、今回の仕事の訪問先であるパリ第7大学までさらに歩いた。このあたりから雪がみぞれ交じりになってざんざん降ってきた。2人とも傘もささずに歩いていたため、びしょびしょに濡れ、凍えてしまった。それで、大学を出たところで、カフェに立ち寄って小休止ということに。結局そこでそのまま小一時間も、いろいろと語り合って、メトロの駅でお別れした。
地下鉄を乗り継いでフラットまで戻った後、面倒だったけど、もう一度近所のスーパーに出かけて、わずかばかりの食材や果物を買い、夕食は、フラットで済ませた。夜になって、パリ第7大学のCS氏に電話し、打ち合わせなど。今度詳しく書くけど、思わぬ僥倖にも恵まれそうで、急にわくわくしてきた。
そうそう、旅の技術的なことを一つ紹介しておこう。今回、旅行中に使う費用のほとんどをユーロのトラベラーズチェック(T/C)で持ってきていて、アメリカなどでそうするように、直接それで買い物をしてそのおつりの現金を持つようにしようと考えていた。しかし、どうもユーロのT/Cを使える店は非常に限られている、ということを知った。キャッシュに換金してもらうしかないわけだけど、通常の金融機関では、手数料をとられたり、換金そのものを断られたりすることが多いという。どういう理由か、特に最近になって金融機関での換金が難しくなっているそうだ。ネットで調べても、その手のトラブルには枚挙のいとまがないほど。仕方ないので、オペラ座近くのアメリカンエクスプレスの支店まで行こうかと考えつつ、さらにネット検索して情報を集めていたら、なんと、郵便局では手数料も取らないし全然待たされずに換金してくれることがわかった。さっそく、今朝、T田さんと待ち合わせる前に通りがかりの郵便局に寄って、半信半疑で試してみたら、たしかに、何の問題もなく換金できた(もちろん、No
Commission ?って尋ねつつ)。こういった重要な情報、意外とガイドブックなどに書いてないんだよね。郵便局なんて、どこにでもあるし、心配していたことが簡単に片づいて一安心だった。
[33:30@Paris] |
| ▲このページのトップへ |
|
|
| 03/03-Thu. |
|
今回のパリ滞在、ホテルに泊まるよりはだいぶ安くあがる、と思って、今のフラットを選びました。とても快適だし安全だし、申し分ないんですけど。
ところがこっちに来て調べてみたら、もっと安い(今のところの半額程度のものも)フラットはいくらでもありました。その出費がかさんだから、というわけでもないんですけど、切りつめた生活をせざるを得ない状況、というか気分になっています。
そもそも、旅に出ると何かとモノ入りになりがちなので、禁欲的に過ごすぐらいの方がちょうどいいとも言えるんですけど。それにしても、なんだか、学生の頃の旅行のような気分からいつまで経っても抜けられないものだ、とナサケなくもあり。昨日の夜からの食事内容はとてもここに書く気になれないほど(とほほ)。今夜の夕食ぐらい奮発して美味しいものを食べようかと思い立った矢先、決定的な出費が。。。それについては、またいずれ本体の方で展開することになるでしょう。。。大した額でもないんだけど、精神的ダメージが大きくて、今夜も、ホント、親が聞いたら泣いちゃうような食事ですもはや赤貧状態。
貧すれど志高く、清貧でありたい(←たまたまだろ、というツッコミはなしで)[19:52@Paris] |
|
今日はまる1日、ずっと雪だった。天気予報で昨日以上の冷え込みだというので、なかなか出かける気になれず、午前中、少し遅めにホテルを出た。モンパルナスあたりの、島崎藤村や横光利一といった日本人作家がかつて滞在していたあたりを歩いてみるつもりだったが、雪が一向にやむ気色にならないので、今回の旅ではあまり行くつもりのなかった美術館に行ってみることにした。
そうなると、行ったことないところに、ということで選んだのがピカソ美術館。去年の夏にパリを訪れた知人にも薦められていたところだ。パリの中心部よりやや東寄りのマレ地区というエリアにある。実はそのあたりは、12年前の僕の初めてのヨーロッパ旅行の起点となった場所でもある。あの古びた、アラブ系支配人のいた安ホテルは今もあるのだろうか?
フラットから凱旋門まで雪の舞う中を歩き、そこからメト ロの1号線に乗って、セント・ポールという駅で下車。メトロの出口から通りに出ると、たしかにたしかに、見覚えのある通りだ。美術館に行った後、あのホテルを探してみよう、と急に思い立った。
ピカソ美術館は、なかなかの見応えだった。絵画、デッサン、彫刻。。。ピカソが生涯にわたって表現したものが散逸することなく収められている。もともと「塩の館」と呼ばれていたという建物自体も一見の価値アリで、満喫できた。
2時間近くも美術館にいてから外に出ると、雪は風も伴っていて、ウンザリ。それでも、マレ地区の界隈を記憶に任せて歩き回った。あの古いホテルに旅のはじめの2泊と、南仏─イタリア─ドイツ─イギリスをめぐった3週間の旅行から帰ってきてからの2泊滞在し、その後、帰国までの数日をオペラ座近くのアパルトマンで過ごした。不思議なことに、パリの「生活」を満喫したはずのアパルトマンよりも、マレ地区の、お湯も満足に出なかった安ホテルの方が印象深い。なんとかあのホテルの前に立ちたい、と思った。それが叶えば、きっとパリと初めて出会ったあの時の感動と今の自分の意識が重なるはずではないか、という妄想に取り憑かれていた。小一時間も捜した挙げ句、しかしついに見つけられなかった。あの時の旅行日記を繙けば、住所ぐらいメモしてるはずなのに。それをしてこなかったことが悔やまれた。 |
雪が強まる中、傘を差して、マレ地区からルーブルを経てオペラ座に向かう。このあたりに来ると、さすがに日本人観光客が多くなった。こっちでの仕事で使う本が急に必要になったので、その界隈にあるジュンク堂に行くことにしていたんだけど、まずは、T田さんに教えてもらったブックオフに行ってみた。
結局僕の仕事の本はなかったけど、なかなかの品揃えだし、値段もまあまあ。日本での新刊価格を円からユーロに読みかえてある感じ(たとえば450円の本は4.50ユーロ)。古本だし、日本のブックオフの値段を考えると、バカバカしい気もするけど、海外でこれだけ本を集めて売ってるというだけでも賞賛(?)に値する。
ブックオフを出て、その足でジュンク堂へ。ここはさらに充実の品揃え。そして必要だった本もあった。しかし。。。予想していたこととはいえ、値段もなかなか。。。僕の買おうと思った本は2300円のものなんだけど、パリ価格は41.60ユーロ(約6000円弱)。しかもその本、日本に帰れば持ってるんだよなあ。。。というわけで、迷いに迷ったけど、えい!と思って、買った。
ちょっとしたダメージ(苦笑)を引きずりつつ、コンコルド広場からグランパレなど横目で見ながら夕闇の迫るシャンゼリゼ通りを経て凱旋門へ。マレ地区からそこまで歩いたわけだから、昨日と今日で、セーヌ川の左岸と右岸に沿ってパリを一往復、横断したしたことになる。旅に出るとこのくらい歩くのは普通だけど、悪天候を考えると、まあまあ大したものかもしれない。
そのまま帰り道でスーパーに寄って、野菜など買って、今夜も自炊。夜は、勉強しなきゃ、と思いつつ、睡魔に勝てず、シャワーも浴びずに寝てしまった。
[31:30@Paris] |
| ▲このページのトップへ |
|
|
| 03/04-Fri. |
|
よく歩いた!4日目の今日、歩いた距離はどのくらいだったんだろう?万歩計(距離換算付きのタイプ)でも買ってくればよかった。
早朝に目覚め、ベッドの中でメールチェックしてレスを書いたりしてるうちに夜が明けてきた。幸い雪は降ってないようだ。朝食後、3日分の洗濯に取りかかる。出来上がってくるまでの間、昨日買った本の読書。そのうち、ヤケに外が明るいと思ったら、なんと陽が射していた。パリに来て4日目にして、初めてのことだ。早く出かけたい!と思うも、こんな時に限って洗濯。。しかも、例の高性能の洗濯機、凄まじい音を立てて展開中。。とりあえず、やっと訪れたひなたを後目に、読書を続けるほかなかった。
この間に、ネット検索しているうちに、重要な資料を持参していないことに気づく。たまたま院生のKさんが研究室からメールをくれたので、大至急、その資料をスキャニングして、PDFファイルに置き換えて、添付メールで送ってくれるように携帯メールに依頼した。快諾してくれてからすぐに大学近くの図書館に行って資料を入手、あっという間に処理してくれて、2時間あまり後には読めた。信じられないぐらい便利になったものだ、とあらためて思う。。もちろん、急な頼みを嫌な顔ひとつせず(たぶんね)やってくれたKさんにまずは深謝しなくてはならないけれど。
午前中のうちに、なんとか出立、昨日までに降り積もった雪が朝の光にまぶしく輝く中、まずはエッフェル塔に行くことにした。これだけの好天なのだから、ぜひともあの高さからパリを一望してみたい、と思ったからだ。一昨日とほぼ同じルートでアクセスしたんだけど、エッフェル塔に近づくにつれて、妙な雰囲気。塔の下にやたらとたくさん人がいるのに、エレベーターの順番待ちなどをしている様子がない。で、係の人にどうやって登ったらいいのか聞いてみたところ、階段等が凍ってて危険なので今はまだ閉めている、とのことだった。いつ動き出すかわからないものを待ってるのも時間がもったいない気がしたので、もともとエッフェル塔の後に行くつもりだったモンパルナスまで歩き、モンパルナス・タワーという高層ビルに登ることにした。 |
エッフェル塔からモンパルナスまでの道は、旧陸軍士官学校、ユネスコ本部、ミシュランなどを横目で見ながらアンバリッドの裏手を抜けていく。歩いてみると結構な距離があって、お腹も空いたので、サンドウィッチとビールで腹ごしらえして、モンパルナス・タワーへ。最上階の59階に行くつもりが、56階までのチケットしか入手できず(理由不明)、まあそれで十分か、と思ってエレベーター に乗り込んだ。
着いてみると、スゴイ絶景!パリをこんな角度でみることができるなんて、ちょっと信じられないぐらいだった。エッフェル塔や凱旋門、ルーブルはもちろん、遠くはモンマルトルまで一望できる。ガイドブックの地図と見比べながら、それぞれの位置関係を確認した。これでパリの概容は完全にものにできた、と思った。
タワーを下りてから、いよいよモンパルナスの散策へ。まずはモンパルナス墓地に行き、ボーヴォアールがサルトルとともに眠る墓に墓参。モーパッサンやボードレールの墓など、有名人の墓が多い墓地だけど、ゆっくり探してる時間もないので、マン・レイの墓だけ見つけて、それで終わりにした。 |
墓地を出てから、かつて島崎藤村が住んでいたエリアに。藤村が住んでいたのは第一次大戦(1914〜)の直前なので、きっと建物は新しくなってるに違いなく、とりあえず界隈の雰囲気だけでも見ておきたいと思って、住所を頼りに探してみた。欧米の街では、住所さえわかっていれば目的地に着くのは実に簡単。す ぐに見つけて、しばし想いにふけったり、写真を撮ったりなどした。そのうち、ふと思い立って、同じビルの一階の薬屋に入り、そこの主人にビルがいつ頃建ったものか、聞いてみた。すると答えは意外にも「1860年代」だという。ということは、まさしく藤村が住んでいた家がそのままここにあり、1階には薬屋が、そして階上には今も日常を過ごす人々が暮らしているわけだ。「日本人の作家がくらしてたんだろ?日本人がたくさんやってきて、写真を撮ったり、ビルを見上げたりしてるから知ってるよ」(薬屋主人・談)。なんだか急に、パリと僕の日常とが同じ地平に並んだような気がして、不思議な興奮を味わった。 |
モンパルナスから道をずっと南にたどり、街外れのモンスーリ公園を抜けて国際大学都市へ。そのあたりは古くは城壁があったところなので、旧パリ市街の最も外側までいったことになる。歩けるかな?と思いつつ歩いたら、結構歩けた。だけど、ずっと舗装道路を歩いてることもあって、腰痛がひどく。 。
それでも、目的地に着くと、疲れが吹っ飛んだ。そもそも、この国際大学都市というのは、1920年代に各国からパリに集まってくる学生や研究者のための宿舎を各国が建てるために、フランス政府が土地を提供したのが始まりだということだ。宮殿のような「国際会館」を取り巻くように、広大な敷地(中にはグランドやテニスコート数面もある)に、さまざまな国の学生寮が建ち並んでいるわけで、それを見るだけでも壮観。お目当ての日本館は、関東大震災のために国の援助が見込めない中、当時、現在のお金にして月に数千万円もの仕送りを受けてパリ社交界に出入りしていた、蕩尽家にしてパトロンの薩摩治郎八が全額(現在のお金で10億ほどだそうな)を払って建てたという。そんなわけで、玄関脇にはFONDATION
SATSUMAと記されている。部屋数60もあり、大小サロン、図書室まであるそうだ。ベースメントに置かれたグランドピアノを女性が弾く様子が、外から見えた。 |
国際大学都市からの帰路は、さすがに歩く気がしなくて、RER(郊外鉄道)で中心部に戻り、メトロに乗り換えて、帰った。ちょっとへとへとだった。。が 、電車の中でガイドブックを見ているうちにふと思い立って途中下車、日本文化会館に立ち寄ることに。パッシーという高級住宅街の対岸、エッフェル塔のほど近くにあるガラス張りの瀟洒な建物だった。行ってみると、なんと、小さいながらも図書館がある。。!。。仕事関係の資料も見つかり、最初からここに来ればよかった、と思った。とりあえず、閉館時間(図書館は6時)までいて、明日もう一度出かけて仕事することにした。
日本文化会館を出ると、すごい勢いで雪が降っていた。まったく困った天気だ。エッフェル塔からトロカデロ広場まで重い足を引きずりつつ滑らないように注意しながら歩き、そこからメトロを乗り継いで帰宅。
すっかり疲れたので、お湯を溜めてお風呂に入り、夕食を食べたらバタンキュー。ソファでうたた寝してたら、パリ第7大学の先生から電話をもらって、寝ぼけながら打ち合わせをした。
[29:30@Paris] |
| ▲このページのトップへ |
|
|
| 03/05-Sat. |
|
ローラン・ギャロスRolandGarrosに行こうと思い立ったのは、テニスの4大大会の一つである全仏オープンの開催される会場を見ておきたい 、というのが大きな理由となったわけではない。僕のテニス熱は決して低い方ではないと思うのだけど、どういうわけか、あまりプロの試合を観戦するのは好まないからだ。むしろ、パリにおけるブーローニュの森の位置づけを知るために、広大な森の南端に位置するそのエリアを一つの目標にして訪れてみようと思っただけのことだった。
トロカデロ広場から9番線にに乗ってミケランジュ・オートゥイユ駅で下車、しばらく歩くとオートゥイユ競馬場が見えてくる。ここがブーローニュの森の入口だ。そこを右手に見ながら進んでいくと、左に植物園があって、その先がフランステニス協会の本拠地、ローランギャロスということになる。 |
ガイドブック等でもほとんど紹介されていないし、オフシーズンということもあって、観光客ゼロ。土産物ぐらい買えるところはないかと思ってみたら、ちゃんとショップがあり、ここはなかなかの品揃え。。値段もヨカッタけど。。とりあえず、Tシャツとリストバンドを記念品として買った。
ショップを出ても、勝手にうろついていいものやらよく分からなかったので、何枚か写真だけ撮って帰ろうとしたら、ふと、Tenniseumなる博物館らしきものの看板の出た小屋がある。会場の見学ツァーがあると聞いたので、その受付かと思って通り過ぎようとしたが、もしかしたら、往年の名プレーヤーの記念品ぐらい置いてあるかも。。と思い、さらには、せっかく来たんだから、そのぐらいは見物して帰るべきかとも思って、出口まで来ていたのを引き返した。 |
小屋に入ると、たしかにツァーの受付には違いないが、博物館の受付でもあった。そこで入場料を払って、入っていくと、なんと、地下に広いスペースがあり、なかなかイイ雰囲気の博物館となっていた。
入ってすぐに、テニスの歴史を追っていくエリアがあり、ビジュアル効果もなかなかのもの。しかし、もっと気になったのはその奥で、全仏オープン歴代のポスターが展示してある廊下の向こうだった。そこは、美術館と見紛うスペースで、テニスあるいはローランギャロスをモチーフにした彫刻・絵画・リソグラフ、さらにはビデオ映像といったオブジェが展示してあった。さすがに芸術の都だ。あるゆるものを「表現」の対象にせずにはおかないのか。。と思いつつ見てまわった。もとより僕の他に誰もいない。それらを眺めているうちに、こみ上げてくるものすらあるほどの感動を味わった。テニスがどうとか、それはいいとして、そこに掲げられているオブジェのどれもがすばらしかった。
その後、もとの場所に戻って、テニスの歴史を丹念に追ってみた。なるほど。1920年前後以降、テニスはモダニズムの表象と結びついて、いや、身体的なパフォーマンスがモダニズムそのものとして受容されていることが理解できた。そして、その頃の日本では白樺派がテニスを慫慂する。彼らが目指していたものはあるいはここだったのか。。妄想は留まるところがなかった。
ローランギャロスをすっかり堪能した後、慌ただしく、昨日の夕方に訪れた日本文化会館へ向かう。その道すがら、パリが、近代日本人の憧れの土地であり続けていたことをリアリティをもって感じている自分に気づいた。この数日、気ままに街を彷徨った結果、やっと僕自身がこの街に来ていることの意味を見出せたようだ。 |
日本文化会館に着いてからは、夕方6時の閉館時間まで、セーヌ川とその向こうにパッシーの街並みを望める席に座を占めて、みっちり仕事した。読んでいた文献の中にこんな一節があった。
この街の人間と会話が繋がって、やっと、吹き抜ける風の存在から、訪問者になれた
一方、この街で話される言葉を解さない僕は、ストレンジャーにすらなれない。わかりきっていたそのことの歯がゆさと一抹の悔恨を抱きながら、しかし、眼下にセーヌ川が流れていることの無上の喜びを、噛みしめていた。
[21:15@Paris] |
| ▲このページのトップへ |
|
|
| 03/06-Sun. |
|
心待ちにしていた電話をもらったのは、昨夜、夕食を食べ終えた頃だった。今回の出張でお世話になっているパリ第7大学の院生にして、去年の秋までの1年間、僕の勤務先に留学してきていたDさんから、今日6日、まる一日つき合ってくれる、という連絡だった。
Dさんの留学中は、僕の授業に出たり、帰国後に書く卒論の勉強をしたいから、ということで、中島敦関連の本を何冊か貸した、という程度のつき合いだった。日本文学を勉強したい、といっていることは、人伝に聞いていたけれど、受け入れ先が僕のところではなかったこともあって、それほど積極的に関わろうとしなかった、というのが正直なところだった。今回の出張先の学生だということも後で知ったようなことで、受け入れ先の先生から、僕の方に電話するように、という連絡をしてもらっていた。
朝10時に、フラットの最寄り駅まで来てもらい、プラットホームで待ち合わせた。会ってみると、日本での印象よりもずいぶんうち解けた感じで、パリでの再会を喜び合うことができた。そして、去年の10月に結婚したということで、相方のエリさんも一緒に来てくださっていた。
午前中は、クリニャンクールの蚤の市 に出かけた。パリの中心部の北側、メトロ4番線の終点だから、ほとんど街外れと言っていいエリアで毎週土〜月曜に開かれる市なんだけど、洋服と土産物、食品以外は、ほぼガラクタ市。よくもまあ、こんなものまで。。と呆れるばかりの品物が、通りに軒を連ねた出店で売られていた。初めは、何かパリ滞在の記念品でも。。と思って物色していたが、すぐにあきらめた。時間がたっぷりあって、目当てのものでも決まっているならともかく。。。それでも、どこまでも果てない市をぶらぶらして、雰囲気だけは十分に楽しむことができた。 |
午後からはモンマルトル周辺を散策することにしていたので、その近くにあって、彼らのお薦めのレストランで昼食をともにした。僕は前菜にアボカドと海老、メインにはウサギを食べた。大衆的な店だという彼らの言葉通り、リーズナブルな値段で、味も美味しかった。
ランチでもディナーでも、ワインを傾けながらゆっくり食事に時間をかけるのがフランス流だ。前菜から始まってデザートのアイスクリームとコーヒーまで、2時間以上店にいて、いろいろと会話に花が咲いた。Dさんは、かつての僕と同じく、中学校で働きながら大学院に通っている、とのこと。なかなかたいへんだと思うけど、がんばって志を貫いてほしい、と思った。エリさんもそういう彼のことを一生懸命バックアップしている印象で、非常に感じの好いカップルだ。 |
食事の後で外に出たら、陽が射していたのだが、冷え込みの方は一段とキビシイ。目的地までちょっと距離があるので、あきらめてメトロに乗ることにした。
向かった先はモンマルトルの丘のふもとあたりで、1890年代にエリク・サティがピアノを弾いていたキャバレー「黒猫」のあった場所と、1912年前後に与謝野鉄幹と晶子夫妻がパリで滞在していたアパルトマンとが同じ通りにある。番地を追っていくとすぐに見つかった。近隣には怪しげな店が多く、いかにも裏通りという感じだった。往時もそのあたりの雰囲気はあまり変わりなかったと思われる。
そこから坂道をたどって、モンマルトルの丘に登っていった。こ のところよく街を歩いているのと、テニスで鍛えた健脚で、長い石段も全くモンダイなかった。連れの2人は少ししんどそうだったので、途中で何度か小休止をはさんだ。12年前、まだヘビースモーカーだった僕も、彼らと同様、喘ぎながらその道を歩いたような気がする。そんなことを思いながら坂を上りきると、似顔絵描きたちが日銭を稼ぐ広場に出た。なつかしい。この丘は、どこかそういう気分にさせる雰囲気を持っている。そして向こう側に白亜のサクレ・クール聖堂がそびえていた。 |
ちょうど夕方のミサが行われていたサクレ・クールの聖堂内をぐるりとみてまわり、丘の上からパリを一望してから、聖堂の裏手の道を通って、サティの旧居に至った。サクレ・クール聖堂の完成が1919年ということなので、 サティが住んでいた当時は、この丘の上にあの白くて巨大な聖堂はなかったのだ。それを思うとちょっと不思議な感じがした。
そこから路地を通り抜けながら丘をくだり、モンマルトル墓地に至る道は、ゆるやかな起伏とカーブがあって、パリの一般的な、平坦な街路とは異なった趣だ。こういう道をたどる時、パリはとても素敵な相貌を見せてくれる。
モンマルトル墓地に着いたのは、閉門(17:30)の30分ほど前だった。お目当ての一つだったゾラの墓はすぐに見つかったものの、遺体はパンテオンに移されている旨が墓標に記されていて、少なからずガッカリ。その後トリュフォーの墓やデュマの墓は見つけたが、もう一つどうしても訪れておきたかったギュスタヴ・モローの墓がついに見つからず、時間切れとなった。 |
モンマルトルからメトロで凱旋門のあたりに戻って、甘党のDさん(彼は酒も煙草もやらないし、コーヒーもお茶も飲まない)ご推奨のケーキを食べに行くことに。シャンゼリゼにあるLADUREEという店なんだけど、着いてみる と行列ができている。せっかく来たのだから、ということで、結局30分並んで、やっと入ることができた。高級感のある、雰囲気の好い店内だった。食べたケーキについては、あまり上手に説明できないので写真を載せておこう。甘いものに対してあまり固執しないタチなんだけど、たいへんな美味だった。さすが、ケーキには一家言を持っているというダニエルさんのオメガネに叶っただけのことはある。
結局1時間半もその店にいて、8時ごろに出た。ほとんどの店が閉まったシャンゼリゼをぶらぶらして、メトロの入口で2人と握手してお別れした。お元気で、というか、これからもよろしく、というか、ともかくそういう感じの別れだった。
彼らとの別れ際、今回の旅がもはや折り返しを過ぎていることに気づき、唖然とした。
帰宅してまもなく、明日訪ねる大学とは別の、もう一つの訪問予定先の先生から電話。あいにくの風邪で熱が下がらず困っているとのこと。それでも、ぜひ会いたい、と言ってくださり、火曜の午後に大学を訪ねることに、とりあえずはしておいた。
[23:00@Paris] |
| ▲このページのトップへ |
|
|
| 03/07-Mon. |
|
午前中から、パリ第7大学へ。最寄り駅は路線が違うのでトロカデロまで歩くつもりが、何となくいつもと違うルートをたどったら迷ってしまい、しばらくぶりにカフェで食べようと思っていた朝食を逃してしまう。それでも朝食をパスしたのが功を奏して少し早めに大学前の駅に着いた。
時間のあるうちに少なめになってきたキャッシュを補充しようと、郵便局に行くが、長蛇の列。やっとまわってきたら、パリでの住所を言わないと換金してくれないという。住所なんて憶えてない、って言ったら、ホテル名でもいいと言われたんだけど、あいにく、フラットを借りてるので、名前なんて存在しない。「これまで何度も郵便局で換金したけど、日本の住所で問題なかった」とくいさがったが、聞き入れてくれない。そのうち、奥の方からお偉いさんor英語をちゃんと話せる人?が出てきて、その人も日本の住所じゃダメだという。あきらめようにも、すでにT/Cにサインしてしまっている。。。と、その時、ふっと住所を思い出した。それで事なきを得たわけだけど、だいたい、そんな住所、証明する方法はないし調べるつもりもないみたいなんだから、いいかげんなものだ。 |
そんなことをやってるうちに、待ち合わせ時間ぎりぎりになっ てしまった。急いで大学に行くと、ちょうど廊下で、今回の出張の受け入れ先になってくださっているCS氏にばったり会うことができた。
彼女は現在学部長なので、個人のオフィスを持っていらっしゃるが、基本的にフランスの研究者は職場に個人研究室など持てないということだ。見学させてもらう授業が始まるまでの間に学部長室で、フランスの大学のシステムや、パリ第7大学の状況、現在、ヨーロッパ統制に伴う改革が進行中であることなど、要点を絞った説明を受けた。
見学させてもらった授業は、三島のテクストを素材に、日本語・文学史・テクスト解釈をふまえつつ、翻訳していくという授業。テクストを読む時以外は全部フランス語だったけど、学生の読み方を正しながら、翻訳しやすい言い回しに置き換えて指導されている様子がよく分かった。 |
授業の後は、大学近くのイタリアンレストランで、ランチをごちそうになった。その店にいた1時間ほどの間は、最近の日本文学研究の動向について、情報交換した。フランスやヨーロッパの状況を知ることができて、たいへん興味深かったし、日本の最近の状況についても関心を持って聞いて下さった様子だった。何より 、学生時代に早稲田に留学されていたこともあって、共通の知人も多く、今回で会うのが2度目(ちゃんと話したのは初めて)とは思えないほど、次から次へと会話に花が咲き、お昼休みの時間ぐらいではゼンゼン足りない感じだった。
昼食会の後は、一旦大学を出て、パンテオンの前からリュクサンブルク公園、その後、カルチェ・ラタンを抜けて、シテ島へ。明日も約束があるし、もうゆっくり観光などしてる時間もないので、ちゃんと訪れたことのなかったその界隈を精力的に歩き回った。
中でも、パリ最古といわれるサント・シャペルのステンドグラスはすばらしかった。最高裁判所と同じ敷地内にあるからか、入口で徹底的なセキュリティのチェックを受けるための長蛇の列ができていた。2〜30分も寒風の中で待たされたけど、それぐらいの価値は十分にあった。 |
夕方、大学に戻り、たまたま開催されているということで誘われていた朗読会へ。こっちに来るまで知らなかったんだけど、作家の池澤氏や多和田氏、さらに詩人の関口氏たちご本人が来られるということで、先日、T田さんにも、話のできる機会があると思うよ、などと言われていたので、ドキドキしつつ、たいへん楽しみにしていた。
開演(?)の10分ぐらい前に会場に入ると、想像以上に広いスペースだった。もう少しこぢんまりした会議室か、そうでなければ、カフェテリアのようなところで行われるものと思っていたのに、ちょっとした小ホールぐらいの感じ。座席も、ざっと見たところ200席以上はある。どうも、想像した感じと違う。。と思っていたら、三人の「詩人」と、司会のサカイさんの入場。おお、ナマ池澤、ナマ多和田だ〜と心わきたつ(ミーハーだね)。
と、その時、僕の後ろの座席に座っていた初老の女性が何か話しかけてきた。。と思ったら独り言。なんかヘンな感じ。。と思っただけだった。その時は。
定刻(18:00)になって、CSさんから3人の紹介があり、それから、池澤、多和田、関口、の順で朗読。ステージ上にスクリーンがあって、そこに日本語のテキストが映し出される中、まず、詩人それぞれが自作の詩を読み、それをCS氏やその他の人がフランス語に翻訳する、という形式だった。会場はほぼ満席状態で、大盛況だった。 |
2人目の多和田氏の朗読が終わろうとする時、「事件」は起こった。
多和田氏が最後の詩を読んでる最中、僕の後ろにいた女性が、ぶつぶつと何か言い始めた。フランス語なので全く理解できない。それを周りに座ってる聴衆がたしなめる。そして、その詩をCSさんが翻訳している最中には、明らかに周囲に聞こえる声で何ごとか語り出し、次の関口さんが壇上に上がった時には、周りの制止を振り切って、立ち上がってなにやら演説を始めた。何を言ってるのか全く理解できないのだが、雰囲気からして今日のイベントそのものに対してイチャモンをつけてる感じ。係の人が来て荷物を取り上げ、外に連れ出そうとするんだけど、全くいうことを聞かず、ひたすらアジ演説。10分ぐらいはそんな時間が続いただろうか?実際はもっと長く感じたけど。。とうとう係の人に両脇を抱えられて外に引きずり出された。で、僕は、というと、たまたまその席だったために、アジ演説の間中、会場中の視線を浴びることに。。まあ、誰も僕なんて見てなかっただろうけど(苦笑)。隣に座っていた日本人の方に彼女の演説の内容を尋ねたところ、政治的な不満やらなにやら支離滅裂なことをわめいていただけ、ということだそうな。。
「事件」の後、関口氏の朗読というかパフォーマンスを経て、3人が壇上にそろって、詩作をめぐるシンポジウム。このときのやりとりが、たいへん興味深かった。ひととおり、CSさんからの質疑を終えた後、会場からの質疑の時間になった。勇気をふるって挙手して質問したかった。いや、実際問題、勇気をふるう、というほどの覚悟がなくても、手を挙げることはできたんだけど。。。何人かの質問がすべてフランス語で為されていることで、思い切り躊躇してしまった。果たして、日本語での質問 なんて許されるのだろうか。。。と、様子を窺っていたら、CSさんがなにやらシメの挨拶らしきことを話して、拍手、閉会。。。うーむ、不完全燃焼。。
壇上で片づけを始められていたCSさんに、今回のいろいろの御礼を慌ただしく言っただけで、追い立てられるように家路に就いた。もしかしたら作家の方々と話せる機会があるのでは、と大いに期待していたのだが、想像以上に大きなイベントだったこともあって、終了した後で立ち話、というわけにもいかなかった。心残りもあったが、こういうイベント自体が実に興味深く、さらには、後半のシンポジウムで作家たちのナマの表現意識を聞くことができて、大興奮の2時間は、実にあっという間だった。
メトロに乗ってトロカデロまで帰り、後は歩いた。わきたつ気持ちに夜風が妙に心地よかった。あとまる2日のパリ滞在を終えると、3日目には帰国の途に就く。それが今はまだ信じられないほど遠い先のような気がする。
この時期に、このタイミングでパリに来ることができて、本当に幸運だった。いや、その選択をしたことで、。。。いや、そこから先は言うまい。あと2日とはいえ、パリ滞在はまだまだ続いているのだから。
[27:30@Paris] |
| ▲このページのトップへ |
|
|
| 03/08-Tue. |
|
疲れが溜まってきたのか、明け方までうたた寝してし、さらに昨日の分のHPをアップしてから二度寝してしまい、目が覚めたら9時近くだった。ヤバイ!。。残り少ない時間だというのに。。大急ぎで準備し、ちょっと夕べだけじゃなくて朝方も呑み過ぎて重い頭を抱えながらメトロに乗って町の中心部へ。とりあえずカフェに入って、カフェ・オ・レとクロワッサンで遅めの朝食を摂りながら、1日の予定を立てた。できれば、土産物を買うのは今日1日で終わりにしたい、と思っていた。13:30に国立東洋言語文化研究所のABさんと会う約束になっていたので、それまではコンコルド広場〜ルーブル近くの土産物店で物色し、ABさんとの面会のあと、本格的に買い物をすることにした。
お午少し前ぐらいから小一時間、 他の観光客に紛れて土産物を見て歩いたけど、どのショップに行っても似たようなものばかりで、ウンザリ。そもそも旅行の土産を買うことほどバカげた行為はない、と常々思っている。いや、正直言って、旅先での買い物は嫌いじゃないし、人にものをあげるのも好きな方だと思うんだけど。なんて言うか、時間もお金もたっぷりかけて、しかも、それぞれに自分の旅の思い入れをたくしてプレゼントするのに、結局あげる時は文字通りツマラナイモノを1個だけ(笑)。もとより、旅の思い入れなんて、行ってない人と共有できるはずもなく。。。というわけで、かけた労力がこれほど実らないことは、ちょっと他に思いつかない。 |
そんなことを考えながら何軒かのショップを冷やかしているうちにあっという間に時間になり、猛ダッシュでメトロに乗って、僕の滞在している フラットのある駅まで戻った。たまたま、今日の待ち合わせ場所となっているABさんの職場が、僕のフラットと、ほとんど通りを横切っただけの目と鼻の先だったのだ。
約束の13:30ギリギリに着いて、建物の入り口でしばらく待ったけど、それらしい方がなかなか現れない。電話で聞いただけなのでどうも心許なく、場所を間違えたかな?と何度も思っていたら、来てくださった。それで、僕のフラットの方に歩き、毎日のように飲み物などを買っている雑貨店の隣のカフェでお話をさせてもらうことになった。この数日間見慣れた風景の中で会っているので、なんだか、妙な気分だった。
彼女は、今回の出張でお世話になっているパリ第7大のCSさんの実の妹さんで、谷崎の専門家でもある。カフェで席に着いてから、ほとんどひっきりなしにまるまる2時間、とめどもなくお話しした。風邪を引いていて今日はテンションが低い、っておっしゃってたけど、体調が万全ならどうなっちゃうんだろう?(笑)。
冗談はさておき、僕の方も非常にハイテンションで、現在の日本とフランスの研究状況一般から、谷崎研究の可能性、また、谷崎のフランス語への翻訳をめぐる話、翻訳そのものの問題など、矢継ぎ早に情報交換して、あっという間に時間が過ぎた。そして、これほどまでに問題意識を共有できる谷崎の専門家にかつて会っただろうか、と思うほど、共感するところが多かった。
来週から2週間、東大での講演のため、来日されるそうだ。ちょうどこの24日に谷崎研究会が東京で開催される旨を伝えたら、できるだけ参加したい、とおっしゃった。もしかしたら、次は東京で再会できるかもしれない。
カフェでの帰り際に、「今日はこれからどうなさるの?」と聞かれたので、お土産のショッピング、といいかけて、先に書いたようなお土産を買うことの不毛さについて話したら、わが意を得たりという表情で「それでも、最も不幸な男性であるサンタクロースよりはマシですよ」との励ましをいただき(笑)、楽しい時間のシメとなった。 |
ABさんとは、通りを隔てて、最初に待ち合わせた、大学の入口までご一緒してお別れし、それからメトロに乗って買い物に出かけた。
最初、マレ地区に行って、文房具や小物類、アクセサリーなどを物色したが、ほとんど成果なし。それでも、ありきたりの土産物ショップよりは、見て回るだけでも楽しかった。
その後、オペラ座界隈に戻り、ブックオフで本を売った。荷物になるよりは、と思ったんだけど、呆れるぐらい安く買いたたかれてガックリ。。でもまあ、僕の売った本がパリの日本人たちの愛読書になるとすれば、それはそれで意味がなくもない、と思い直した。
その後、プランタンやその系列のスポーツ用品店も行ってみたが、 特にめぼしいものも見つからず、今日もまた、たいへんな距離を歩いていることに気づく。途中、初めてパサージュ散策も体験できた。ベンヤミンの本を読んでいるとしばしば出てくる雰囲気がすごくリアルに感じられてうれしかった。できれば明日は、パサージュをいろいろと歩いてみたい。うまくそこで、みやげも見つかるといいのだけれど。
パリで過ごす夜もあと2回、と思うと、何か美味しいものでも食べないともったいないような気がしたが、結局、ひとりで食べても味気ないし。。と思い直し、今日もまた、近所のスーパーで惣菜を買って、貧しく食事。今回、一人旅の気楽さは最大限にあるんだけど、さすがに食事の時ばかりは孤独が身にしみる。今回のパリ滞在中、レストランに入った回数は何回あっただろう??ちょっと数えかけて、あまりにも悲惨な気がして、やめた。
[22:30@Paris] |
| ▲このページのトップへ |
|
|
| 03/09-Wed. |
|
毎日のことだけれど、昨夜も疲れ果てて眠りに就いた。しかし、いつもよりはゆっくり目が覚めた。。といっても6時過ぎぐらいだったけど。
パリでまる一日過ごす最後の日なので、いつもより早めに出かけて、とりあえず近くのヴィクトル・ユゴー広場まで歩き、付近のカフェに入った。ちょうどラッ シュアワーの最後あたりだったので、通勤・通学の人々が慌ただしく歩いていた。あたりまえのことだけど、彼らのステップと、僕のそれとはあまりにもリズムが異なっている。そんなことを思うのも、今日が実質的な「最後の一日」、ということだからだろうか。
朝食は、今日もカフェ・オ・レとクロワッサンで済ませ、それからゆっくりと今日一日で歩くルートを検討した。少しでも早く街に出たい気持ちもあったが、なにせまだ店が開いてない。おおよそのプランを立てたところで、思い立って、初めて自宅に電話した。今回契約したフラットには携帯電話が付いていて、始めにある程度多めにお金を払っていたものの、ほとんど使っていなかったことを思い出したからだ。 |
ほとんどの店が10時を過ぎないと開かないので、9時半近くまで同じカフェにいて、それからメトロで凱旋門まで出て1番線に乗り換え、ルーブルのあたりまで行った。それでもまだ早すぎるので、チュルリー公園に入って、ルーブルの全貌を見渡し、さらにセーヌの対岸にオルセーを望んだ。12年前は初めてのパリだったこともあってこの2つの美術館をはじめ名所めぐりに忙しかった。街を見ることよりも、そういうことに時間を費やしていたこともあって、街の全貌を把握するに至らなかった気がする。何せ、今回やたらと目の当たりにする機会の多いエッフェル塔さえ、満足に観に行かなかったほどなのだ。
チュルリー〜ルーブル界隈のショップをのぞいてから、途中、スーパーで買い物をしたりして、オペラ座に抜け、そこからさらに北上して、日曜にダニエルさ んたちとモンマルトルの丘に行く前に昼食をご一緒したレストランのあるエリアに。そのあたりで3つのパサージュを散策した。いずれも、18世紀後半〜19世紀にできたものだそうで、独特の雰囲気を味わうことができた。パサージュというのは、日本で言うところのアーケード商店街のことなんだけど、そういう言葉では言い表せないものが、たしかにある。バカバカしいと思いながらも今日はお土産ショッピングに追われていたので、足早に通り過ぎただけだったが。。。できればそのあたりで少し買い物もしたかったんだけど、その点での成果はゼロ。
パサージュを出た後、ずっと歩いてセーヌ川のあたりまで南下。途中、さらにパサージュ・デュ・グランセールという、映画『地下鉄のザジ』(ルイ・マル監督)に出てくるパサージュも歩き、ポン・ヌフの橋(これまた映画にゆかりの場所)を渡って、サン・ジェルマン・デ・プレに至った。 |
もうお午もずいぶんすぎていたので、その界隈のパブ・レストランに入った。フランス語が全くわからないので、とりあえずその日のオススメ(たぶん日替わりメニューのことだろう)を頼んだら、ライスの上にカレー風味のチキンソースがかかっていた。まあまあ、味は悪くなかった。今回の滞在中、初めて米を食べたことになる。
昼食後、ワインのほろ酔いも手伝って疲労が少し回復したところで、サン・ジェルマン・デ・プレに。寺院の中を早足で見学してから、サン・シュルピス教会近くのショップへ。そこからさらにソルボンヌまで歩き、近隣の土産物店に立ち寄った。
大学からまた、サン・シュルピス教会に戻る途中で、T/Cをキャッシュに両替し、その前に寄った店で買い物した。そのあたりでもう、足の疲労は限界。やっとの思いでメトロの駅までたどり着き、ルーブル界隈まで戻った。
ルーブル界隈でまたしばらく買い物した後、メトロに乗って朝と逆方向のルートで夕闇が迫るヴィクトル・ユゴー広場に戻った。なんとか目当てのパン屋の閉店時間(たぶん7時)に間に合った。その後、バゲットを小脇に抱えて、滞在中何度も通ったスーパーへ。ここで今日の買い物の締めくくり、と思ったが、疲労困憊でとてもレジに並ぶ気になれなくて、一旦フラットに戻って荷物を置き、別のエリアにあって夜9時まで開いているというスーパーに行くことにした。
フラットからスーパーまで1km近くの道をまた、てくてくと歩く。重い荷物を置いてきたこともあってずいぶん軽やかになった。遠くに凱旋門が見え、パリの「最後の夜」を感じた。次また来るのは何年後のことか。。。と、その時、ずっと頭の隅にありながら、敢えて考えずにいた、一つの疑念が沸き上がる。
なぜ、僕はパリにいるのだろう?いや、なぜ、パリを選択したのか。。。?
その答えは、容易には見つからない。たしかに、滞在中、街をさまよいつつ感じたことは多々あったし、CSさんABさん姉妹やD夫妻との邂逅は、実に楽しく、またこの上なく有意義だった。前にも書いたように、この時期に来てよかった、と心から思う。しかし、そもそも、僕はなぜこの街を今回の旅の目的地として選択したのだろう?他に北米という選択肢があってギリギリまで迷っていたし、そもそも、言葉が通じないところに行くなら、ヨーロッパの他の国でも、あるいは中国などでもよかったはずだ。。。そんな想念に囚われているうちに疲れを忘れて歩き続け、やがて見慣れない街に着いた。 |
目指すスーパーは、パレ・デ・コングレという劇場の地下にある。着いてみると、ちょっと品の良い店で、値段も少々高め。そこで夕食の食材を 買おうとしたが、まったく食欲をそそるものがなく、今夜はもう、残り物(小さめのバゲット+チーズ+ズッキーニ+ビール)で済ませようかとも思ったが、パリ最後の夜にしてはあまりにも惨めな気がした。そこで、パレ・デ・コングレ近くのビストロというかバーというか、そんなレストランに寄って、初めてディナーをひとりで食べた。メニューのフランス語が読めないので、ビーフを食べたい、って言ったら350gもあるステーキが出てきた。好い感じに焼いてあって、付け合わせもまずまず。近くに立ち並ぶ他のレストランにくらべて、はやってるはずだ。いや、実を言うと、感動的に美味しかった(笑)。 |
夕食後、またフラットへの道を、重い足を引きずりつつ、ワインの酔いにまかせて歩いた。道沿いは各国大使館の建ち並ぼうかという高級住宅地に続いていて、マンション群も実に凝った外装となっている。窓のカタチも手すりのカタチも、それほど古いものでもないのに、しっかりとした装飾が施されているのだ。
それらを眺めているうちに、ふと、パリ・デ・コングレまでの往路で考えていたことに一つの結論を得た。
パリには、文化の粋(すい)がある。古代から現代に至るまで、およそ人が作った美しいものが、これほど集まり、あるいは生み出されている場所が他にあるだろうか。ほとんど意識しなかったけれど、そういうものに触れたい、という渇望が僕の裡から沸き上がっていたのだろう。しかもそれは、美術館などに閉じこめられているものなどではなく、見慣れた街の風景、まさにマンションの外装とか、地下鉄の入口とか、そういうところに見出せる、街の断片だ。それはあまりにもさりげなく、しかし美しく、何よりも、パリにいてこそ目の当たりにできるもの。かつて多くの日本人作家や芸術家がパリに憧れ、それが実現した極めて少数の者たちが見たものもきっとそういうものだったにちがいない。
フラットまでの道すがら、ジタンの香りとワインの残り香を身に纏いつつ、そんな妄想に取り憑かれて、今回のパリ滞在、最後の夜が更けていく。
[28:30@Paris] |
| ▲このページのトップへ |
|
|
| 03/10-Thu. |
|
一旦明け方に目覚めてベッドからも抜け出したのに、もう一度ベッドに潜り込みたくなったのは、そのベッドの寝心地が最高に気持ちよかったからに他ならない。最初の頃にここに書いたように、このフラットのベッドは非常に特殊な作りになっていて、天井から下ろしても、およそ70cmほどの高さがあって「寝台車みたい」(フラットのオーナー談)な感じがするのだが、ほどよいマットレスの堅さといい、クィーンサイズの広さといい、薄くてちょうどいい暖かさの羽毛布団といい、申し分ない。今日でこの感触からお別れかと思うと、どうしても名残惜しくて、ほんの1時間だけ惰眠をむさぼるつもりだった。しかし。目が覚めるともう8:30。。もっと早起きして、荷物のパッキングを済ませ、10:00のチェックアウト前に朝食を摂りに出かけるつもりだったのに。。普段軽視しがちな“眠り”へのちょっとした浮気心のために、カ フェ・オ・レとクロワッサンの朝食が喪われてしまった(涙)。
ともかく、大急ぎでシャワーを浴び、荷物をパッキング。大した土産も買ってないので相変わらずスーツケースはスカスカなんだけど、往路の経験からして、おそらく重量オーバーを言われるのは間違いないところなので、すぐに持ち出せるようにクリニャンクールで買った手提げ袋にある程度の荷物を入れてパッキングしておいた。それからゴミを出して、身支度を整えたら、もう約束の時間まで20分もなかった。 |
そこで一旦外に出て、滞在中に何度も通った近所の雑貨店などを写真に撮ったりした。このとき、ヤケに車が多いな。。という印象を持ったのはたしかだったが。。部屋に戻ると間もなくチェックアウトに来るという確認の電話。しかし、すごい渋滞で5分ほど遅刻するとのこと。なんでも、今日からメトロ全線がストライキに入ったそうだ。 空港に行くにも、タクシーよりバスの方がいいから、バスの発着所まで送ってくれるという。それで、部屋での待ち合わせをやめて、初日に待ち合わせたマンションのメインエントランスのロビーで会うことになった。それにしても、メトロがストとは。。。昨日じゃなくてホントによかった。。もし昨日ストになってたら買い物どころじゃなかった。
空港へのバスの発着所は凱旋門のところにあり、そこから空港まで3〜40分ほど。料金もタクシーの半額以下だし、広いシャルル・ド・ゴール空港のいくつかのターミナルごとに停まってくれるので実に便利だった。
空港内はなんだかすごい人人人。あんなにも混んでるなんてちょっと異様だった。しかも、妙なことに11:30に近いのに、8時台の発着予定からずっと電光掲示されていて、よく見ると欠航表示・遅延表示がやたらと目につく。そして、13:30出発の関空行きの便がどのカウンタでチェックインできるか、12時近くになっても表示されない。そういえば、空港の周辺で銃を肩からかけた軍隊の人をずいぶん見かけたし、空港内でも歩き回っている。ヨーロッパのハブ空港なんてそういうものかもしれないけど、ちょっとモノモノしい。。。おかしなことになって、急に帰国できなかったらどうしよう。。帰国の翌日(12日)は入試業務が待ってるというのに。。などと、不安だか期待だかよく分からない気分で、とりあえずカフェで朝食を摂ることにしたのだが、どこも長蛇の列だった。見たら、航空券を見せて、無料でサンドウィッチを頼んでいる人が何人もいた。欠航便などの影響に違いない。やっと順番が来て、クロワッサンを注文するも、売り切れ、とのことだった。ザンネン。
で、後で知ったことなんだけど、空港のあの混乱も、実はメトロのストの影響なのだそうな。特に国内便の発着が乱れて大変なことになっているようだった。
|
朝食の後、係の人に聞いたりして、どうにかカウンタを見つけてチェックイン。それから出国手続き等々、順調に済ませて、搭乗口にたどり着いた。搭乗口の外には、僕を日本まで運んでくれるエールフランス便が翼を休めている。いよいよ帰国と思うと、短いようで長かったような、今回の10日間の旅がさまざまに思い出された。
まだ日本に帰りたくないか、と言われると、案外そうでもない。もうちょっといたい、というよりも、ちょっと帰ってみたい気持ちの方が強いかもしれない。楽しかったことはたしかだけど、ユーロ高(円安)もあって貧しく、さらに孤独すぎた時間は正直キツかった面もある。それでも、入試業務やら卒業式やらを済ませて、来月アタマぐらいにまたパリに来る予定になっていて、やれやれ、短期間に続けてあの飛行機での長旅をしなくちゃいけないのか。。とウンザリした気分で、でもまたパリが僕を迎えてくれるのならそれもガマンしよう。。。そういうシチュエーションだったら、どんなにか幸せだろう?
しかし、現実的には、次にいつこの地を訪れることができるのか、全く予想がつかない。モンパルナスからサンジェルマン・デ・プレ、そしてカルチェラタンに抜ける長い道のりをさまよい歩けるのは、果たして何年後になるのか。セーヌのほとりで佇むことができるのは。。あるいは、モンマルトルの丘に登ることができるのは。。
搭乗してみると、帰国便の座席は、エコノミー席の一番前で、のびのびと足を伸ばせる最高の席だった。なんという幸運だろう。この席での旅なら疲れ方も全然違う。
帰国して、新しい日常に入ろうとする今、僕にとって願ってもない滑り出しになった。
[19:30(日本時間27:30)@Air France便の機内にて] |
|
|
| 03/11-Fri. |
|
到着予定時刻から30分ほど遅れて、無事に小雨降る関空に着きました。気温が低めかと思ってたら、意外と暖かい。
なんだか久しぶりに帰ってきた気分です。飛行機が着いたとき、なぜか、着いたのが成田でこれから東京で暮らしていたアパートに帰るような錯覚を覚えました。
12年ぶりにパリに行って、自分の記憶があまりにも曖昧であることに少なからず戸惑いました。それでもやはり、あの街にとって12年なんて、何かの変化をもたらすには短すぎるようで、日を追って街に馴染んでいくうちに、僕の意識の中の時空がねじれてしまったようです。
今はすでに、リムジンバスに乗って奈良に向かっています。数十分かの後には、僕の確かな現実にめぐり会うことになるでしょう。
そして、そこから、新たな出発です。[10:52] |
| ▲このページのトップへ |
|
|
|